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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)13461号 判決 1988年7月25日

原告 大木一幸

右訴訟代理人弁護士 中村界治

同 斉藤喜英

被告 株式会社 読売新聞

右代表者代表取締役 小林與三次

右訴訟代理人弁護士 山川洋一郎

同 喜田村洋一

主文

一  被告は、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和五九年五月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する昭和五九年五月二五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、弁護士の業務に従事する者である。他方、被告は、日刊紙「読売新聞」を発行する法人である。

2  名誉毀損行為

(一) 被告は、昭和五六年五月二四日、自社発行にかかる日刊紙「読売新聞」第三七六六一号第二三面トップに、「また弁護士が“黒い失点”」の大見出しのほか、「逃亡暴力団へ検事調書渡る」「謝礼金?も受け取った」「裁判資料のコピー地検違法だと追及」等の各見出しを付けた上、原告の写真を掲げて別紙記載のとおりの記事(以下「本件記事」という。)を掲載し、大きく報道した。

(二) 本件記事は、以下のような事実を摘示して原告を中傷している。

(1) 本件記事は、暴力団員で覚せい罪不法所持の容疑で逮捕された甲野太郎の共犯である暴力団員乙山春夫が、逃亡中、甲野の知人であるB氏を通じ、甲野の検事調書等コピーを入手し、勾留中の甲野その他事件関係者に威迫的言動をしたこと

(2) 東京地検の調べによれば、これは、甲野の弁護を担当していた原告が、B氏から、調書類の貸与を依頼され、謄写した甲野の調書類を手渡したことに起因すること

(3) その際原告はB氏から調書類貸与の謝礼金として現金三万円を受け取っていたこと

(4) 東京地検は、原告の右貸与行為が刑事訴訟法四七条及び弁護士法二三条に違反する疑いが強いとして、追及する方針であること

(三) 本件記事は、本文記事、原告の写真、大きな見出し及びリード部分を総合すると、全体として、原告は、調書類のコピーをB氏に渡せば乙山に渡ること並びに乙山がこれをもとに証拠湮滅行為をするであろうことを予見し得る状況のもとで、その行為に及んだものであり、弁護士である原告が、あたかも重大な犯罪を犯し、東京地検が原告の刑事責任を追及するかの印象を一般の読書に対し抱かせるものとなっており、これにより原告の名誉は毀損された。

3  損害

(一) 原告は、昭和四〇年に弁護士登録して以来、弁護士の業務に携わり、昭和四一年度以後は、東京弁護士会関係、同会内友誼団体関係、日本弁護士会関係等において、毎年のように各種委員会の委員ないし副委員長、理事等の役員を歴任するなど中堅弁護士として活動してきたものである。ところが、日本の三大新聞社の一つである被告による本件記事、特にセンセーショナルな大見出しによる報道は、原告に、生涯のうちこれほど大きい衝撃はないというほどの精神的な打撃を与え、これまで築き上げてきた弁護士としての社会的信用を著しく失墜させた。本件記事が掲載されてから一か月間というもの、全国あるいは海外も含めて原告の知人、依頼者ら約二〇〇名から本件についての問い合わせがあり、その対応のため弁護士業務は中断された。また、本件以来、これまで歴任してきた委員会の委員及び役員にも就いていない。

(二) 原告が本件記事の掲載によって被った精神的損害ないし無形的損害は、金五〇〇〇万円をもって償うのが相当である。

4  結論

よって、被告は、原告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき金五〇〇〇万円及び不法行為の後である昭和五九年五月二五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2のうち、(一)(二)の事実は認め、(三)の事実は否認する。本件記事は、東京地検が、乙山の公判において調書漏洩の事実関係を明らかにし、事実上原告を糾弾する方針であることを報道したものである。

3  同3のうち、(一)の事実は知らない。同(二)の主張は争う。

三  抗弁

1  公共の利害に関する事実及び公益を図る目的

種々の社会的公共的役割を期待され、高度の職業論理が要求される弁護士の職務は、社会の正当な関心事である。本件記事は、暴力団員の覚せい剤不法所持事件に関連して、担当弁護士を通じて事件記録が逃亡中の共犯者の手に渡り、右共犯者が証拠湮滅行為を行ったことから、原告の弁護士としての職務上の行為を批判する内容であり、また、被告は、これを公共の利害に係わるとして、広く社会に知らしめる目的で報道した。従って、本件記事は、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的で報じられたものである。

2  本件記事内容の真実性

(一) 原告は、当時甲野の被疑事件に関連して、乙山が逃亡中であることを知っており、また、甲野の供述調書には、本件記事中B氏と匿名で表示されている丙川夏夫と乙山とが友人であり付き合いがあった旨の記載があり、原告はこれを読んでいる以上、丙川と乙山との関係を知っていたというべきである。更に、原告は、丙川より甲野の調書類の貸与を依頼された時、調書類が、丙川から乙山に渡されることを聞かされていた。しかも、原告は、その後、記者からの取材に際し、乙山が出頭するから記録を貸与した旨の弁解をしている。従って、原告は、乙山による証拠湮滅行為を知り得る状況において、丙川に対し、調書類を貸与したものである。

そして、原告が丙川に調書類を貸与した後、両人が事件の事実関係について検討したこともないから、原告の右貸与行為は、甲野の弁護活動の必要からなされたものではない。

(二) 原告が、丙川より受け取った現金三万円の趣旨は、調書類貸与に対する謝礼である。

(三) 弁護人は、弁護活動に必要な限度を超えて開示された捜査記録を第三者に見せたり、写しを貸与することは許されず、開示された捜査記録の刑事事件の性質(共犯者の存否と逃亡の有無、組織とのつながりの有無)、相手方と依頼者との関係、事件とのかかわり合い、その相手の立場、職業、信頼性等を十分に考慮する必要があるのであって、見せたり交付する調書等が証拠湮滅に利用されることが予見し得る時は、調書を見せること、なかんずく謄写した調書の交付はなすべきではない。そして、主犯の検事調書によって知り得る供述内容のうち、とりわけ共犯者に関して述べている部分は、弁護士法上の職務秘密に該当する。従って、証拠湮滅行為が容易に予測され得る状況で、暴力団関係者に謄写した調書類を渡した原告の行為は、刑事訴訟法四七条及び弁護士法二三条に違反する。

また、東京地検は、原告の右行為を右両条文に違反すると考えて、乙山の公判において、甲野を証人として調書漏洩の事実関係を追及し、その論告においても、原告を通じて調書が流れた旨を述べており、東京地検は、事実上原告を糾弾し批判したものである。

(四) 本件記事において、原告の行為が刑事訴訟法四七条及び弁護士法二三条に違反するとの点は、東京地検が原告の行為をどのように評価し、どのような追及をするのかについて報道しただけのものであり、被告の見解等を示したものではない。

(五) 以上により、本件記事の内容は、すべて真実である。

3  真実と信ずる相当の理由

仮に、本件記事の内容が、真実でなかったとしても、次のような取材経過から、被告は、本件記事の内容の事実をいずれも真実であると信じたものであり、真実と信ずるについて相当の理由があった。

(一) 東京地裁の司法記者クラブに所属していた被告の記者岸洋人は、昭和五六年三月末ないし四月に、東京地検検事から、「覚せい剤事件で逃亡中の暴力団員に共犯者の調書を横流しした弁護士がいる。」との情報を得て、その弁護士とは原告であることを知った。

(二) 岸は、同年四月半ばころ、同じ検事から、東京地検が本件について公判の中で事実上原告を糾弾することにした旨を聞いたので、岸は、本件の調書漏洩の事実関係を詳細に知るため、右検事のほか東京地検の刑事部及び公判部の所属検事四名に取材した。その結果、岸は、東京地検が、丙川と甲野から事情聴取していること、その中で丙川が、原告に対し、調書類のコピーの借り受けの謝礼金として現金三万円を手渡した旨供述していることを知った。

(三) 岸は、右五名の検事から、原告の右行為が刑事訴訟法四七条、弁護士法二三条に違反することを聞いたので、岸は、高検刑事部の検事及び最高検の検事に対しても、原告の行為の違法性について質問したところ、同様の見解を示された。

(四) 岸は、同月末頃、司法記者クラブのキャップである滝鼻卓雄に取材経過を報告したところ、滝鼻から、裏付け取材に特に留意する必要があるので、現金の趣旨などもっと確認するようにと指示された。

(五) 岸は、同年五月二二日、乙山の公判を傍聴し、その中で調書漏洩の事実が取り上げられ、証人として尋問された甲野が、原告に対し乙山に調書類のコピーを渡してよいとは言っていない旨証言するのを聞いた。

(六) 右公判終了後、岸は、東京地裁の廊下で、原告に対し、丙川に調書を手渡した理由や三万円の趣旨を質問すると、原告は、「丙川が、逃亡中の乙山が自分で出頭すると言っているし、丙川と乙山とは兄弟も同様だ。三万円は、コピーの実費である。」と答えた。岸が三万円の趣旨について更に追及すると、原告は、甲野を弁護した弁護料の一部であると説明を変えた。この時、原告は、岸に対し、記事にしないように懇請し、自己の非を認める態度をとった。

(七) 岸が、右(六)のやり取りを岸が滝鼻に報告したところ、滝鼻から、三万円の趣旨について更に取材するように指示されたため、丙川の供述について最もよく知る検事に尋ねることにした。すると、右検事は、岸に対し、丙川が「原告が記録を渡す際、『コピー代も高くかかるからな。』というような言い方をしたので、丙川は、乙山から預かってきた三万円を『お礼です。』と言って渡した。」旨供述していることを教えた。

(八) 滝鼻は、右公判期日の夕方、第一東京弁護士会館の地下食堂銀茶寮において、原告と会談したが、本件記事中の原告の弁解部分程度の釈明をするだけであった。

(九) 同月二三日夕方、岸が本件記事の草稿をまず執筆し、これに滝鼻が加筆修正したが、原告が合理的な説明をできるかどうか最終的に確認するため、同日夜、岸は、原告に対し電話をかけた。しかし、原告より、特に原稿に修正を加えなければならないような説明はなかった。

(一〇) 丙川の所在が不明であったため、被告は、同人の取材をすることができなかった。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認する。

2(一)  抗弁2(一)のうち、原告が丙川に対し甲野の調書類のコピーを貸与したことは認め、その余の事実は否認する。原告は、甲野の調書類のうち意味がわからなかったり、不明確あるいは関係者の供述に食い違いがある部分があったので、弁護活動上の必要から、丙川にこれらを明確にしてもらうため、甲野が原告事務所を訪ねてきた際、甲野の調書類のコピーを一時貸与したものである。原告は、当時丙川が乙山と関係があったことを知らなかったし、丙川が原告より記録を借り受けた後どうするかも予見し得なかった。また、甲野が当時警察署に勾留されており、乙山が甲野に電話をかけ自由にやり取りできるなどのことは本来あり得ないことでないので、証拠湮滅行為が行われることは、原告としても予想もしないことである。本件記事中、乙山が勾留中の甲野に暗に供述を変えるよう圧力をかけたとする部分も虚偽の事実である。

(二) 抗弁2(二)の事実は否認する。原告が丙川から受領した三万円は、同じころ原告が、丙川より弁護の依頼を受けた丁原秋夫、戊田冬夫、更には丙川自身、甲野の弁護料、車代、日当等合わせたものの趣旨である。

(三) 抗弁2(三)については争う。原告は、調書類のコピーを貸与したが、それは、弁護活動に必要と判断したためであり、かつ、丙川は、訴訟関係人のうちでも立場上被告人と同視すべき人物であるから、右貸与行為は、刑事訴訟法四七条に違反しない。また、原告が知り得た内容を弁護活動のため事件関係者に知らせる行為は、弁護士法二三条に違反せず、被告人甲野の調書類のコピーを貸与するについて、同被告人の同意を要するものでもない。更に、東京地検は、原告に追及してはいないし、乙山の公判においても、原告を追及していない。乙山の第二回公判において、甲野証人に対する検察官の尋問の中で、調書の入手につき触れられたが、それは、被告人である乙山を追及する趣旨でなされたものである。東京地検の見解を示したか、被告の見解を示したかを問わず、被告の報道は虚偽である。

3  抗弁3冒頭の主張については争う。

抗弁3のうち、(一)ないし(四)の事実は知らない。

(五)のうち、昭和五六年五月二二日乙山の公判で甲野が証人として証言したことを認め、その余の事実は否認する。

(六)のうち、(五)の公判終了後、東京地裁の廊下で原告が岸から調書を貸与した件について質問を受けたこと、その際原告は丙川より受け取った現金三万円が弁護料の一部であると答えたこと、原告が岸に対し、記事にしないように言ったことを認め、その余の事実は否認する。

(七)の事実は知らない。

(八)のうち、右同日夕方滝鼻と原告が会談したことを認め、その余の事実は否認する。

(九)のうち、同日二三日夜岸が原告に対し電話をかけてきたことを認め、その余の事実は知らない。

(一〇)の事実は知らない。

第三証拠関係《省略》

理由

一1  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

2  請求原因2のうち、(一)(二)の事実は当事者間に争いがない。

《証拠省略》によれば、本件記事を子細に読むと、東京地検が重大な犯罪を犯したとして原告自身を直接追及する方針であることを報道しているものでないことが認められる。しかしながら、新聞記事が個人の名誉を毀損するものであるか否かを判断するにあたっては、本文記事の内容のほか、リード部分の内容、見出し、配置、活字の大きさ、写真、紙面において占める位置、大きさ等を総合的に勘案し、一般読者の普通の注意、関心と通常の読み方を基準として当該記事全体から受ける印象によって判断するのが相当である。本件記事は、「また弁護士が“黒い失点”」の大見出しと「地検違法だと追及」の見出しを掲げ、原告の写真をも掲載し、いわゆる社会面のトップ記事として大きく取り上げていることは前記のとおりであり、この事実からすれば、原告の行為が犯罪であるとして、東京地検が原告の刑事責任を追及するかのような印象を一般読者に抱かせるに十分なものである。もっとも、《証拠省略》によれは、本件記事は、リード部分において「この弁護士の行為は刑事訴訟法に違反するのはもちろん、弁護士法にも抵触する疑いが強いとして、東京地裁で審理中のこの暴力団員の公判の中で“調書漏えい”の事実を追及することにしている。」と記載し、本文記事において「同地検では、“調書漏えい”の詳細を公判廷で明らかにする方針。」と記載していることが認められる。右事実を合わせて考慮すると、東京地検が原告を追及する方針ではあるが、それは、原告を犯罪者として検挙する等刑事責任を問うものではなく、原告とは別の暴力団員の公判廷において、原告の調書漏洩の事実を明らかにすることによって、原告の違法行為を批判、糾弾する趣旨の部分も本件記事に含められていることが認められる。しかし、これは、一般読者が捜査、裁判の手順ないし構造をある程度理解しており、かつ、本件記事の全文を注意深く読めば、右趣旨を理解し得るというにとどまり、本件記事が通常の日刊全国紙に掲載されたものであることからすれば、右部分があることは、前記認定を左右するものではない。そうであれば、本件記事の報道によって原告の名誉が毀損され、かつ弁護士としての社会的信用が害されたことは明らかである。

二  次に、抗弁について判断する。

1  新聞記事が、他人の名誉を毀損する場合であっても、右記事を掲載することが、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものと解するのが相当であり、もし、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときには、右行為には故意若しくは過失がなく、結局、不法行為は成立しないものと解するのが相当である。

そして、民事責任の有無を判断する場合、右の違法性阻却事由の要件については、刑事罰によって違法な報道を抑制する場合とは異なり、報道された者の社会的地位、特に公人性の程度、報道された内容の右の者に対する影響の重大性、及び報道された者の受けた被害の回復の可能性と、報道された内容自体の客観的重要性及び民事責任を課せられることによって報道者側が被る打撃との均衡等を考慮し、特に懲罰的な損害賠償責任を課する場合でない限り、違法性阻却要件を厳格に解すべきであって、報道事業の公共性、報道された者の公人性と個々の報道記事の公共的正当性とを短絡的に結合させて論ずるべきものではない。即ち、報道内容の真実性の確保若しくはその根拠の相当性についていえば、報道内容が十分に推定できる程度の確実な資料を数量及び質の両面において収集しこれを根拠にすることが必要であり、これによらず、単に報道内容に沿う伝聞を主張する者あるいは主観的憶測の域を出ない解釈や推定をなす者の供述や情報、報道の前若しくは後において信憑性を吟味する機会(特に裁判手続において)の与えられない匿名者の供述やいわゆるオフレコの情報を根拠にするだけでは不足というべきである。特に、報道される当事者が報道内容事実を事前に否定している場合には、右否定を虚偽、架空と断じ得る程度の資料が必要であり、これがなされていない限り、報道される当事者の主張を記事内に併記したからといって、報道者の不法行為責任を阻却し得るものではない。

また、報道内容の真実性若しくはその根拠の相当性について報道者側に確信がない場合に、第三者が問題となっている事実についてどのように見ているか、あるいは第三者が報道される者についてどのように供述若しくは論評しているかなどを報道内容としても、それが報道される者の名誉を毀損するときは、右供述若しくは論評の存在自体が真実であっても、所詮それは報道者の真実性確認義務を回避するためのすり替えであって、報道者の不法行為責任を阻却し得るものではない。

2  本件記事が、公共の利害に関する事実に係わるか否かについて判断する。

弁護士は、種々の社会的公益的役割を期待されて、高度の職業倫理が要求されるものであり、その職務上の活動の当否については、社会的な評価によってコントロールされているものである。従って、その活動の当否に係わる事柄を広く社会的に知らしめることは、公共の利害に関する事実に係ることは明らかである。

3  本件記事が、専ら公益を図る目的で掲載されたか否かについて判断する。

《証拠省略》によれば、当時被告の司法記者クラブのキャップをしていた滝鼻は、部下の岸洋人から、暴力団員の覚せい剤不法所持事件をめぐって、共犯者の調書が逃走中の暴力団員に渡り、調書を入手した右暴力団員がその調書の中身に関連して、もう一人の暴力団員に脅迫的な電話をかけ、参考人の父親にも電話をかける事件があったこと、並びにその調書が弁護を担当していた弁護士である原告の手を通して渡っていたことを報告され、そこで、原告の行為は犯罪ではないものの、高い職業倫理が求められる弁護士が脅迫の原因を作ったことから、原告は社会的に強く非難されるべきだとの判断をなし、本件記事を掲載したことが認められる。従って、本件記事は、専ら公益を図る目的で掲載されたものというべきである。

4  本件記事内容が真実であるか否かについて検討する。

(一)  《証拠省略》によると、次のような事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(1) 丙川夏夫は、暴力団飯島連合会に所属していたが、昭和五五年当時同会に所属していた甲野とは、兄貴分、舎弟分の関係にあり、甲野を経済面その他色々な面で世話をしていた。また、乙山春夫は、暴力団住吉連合音羽一家川崎組の中堅幹部であり、丙川とは、昭和五〇年ころからの知り合いである。その関係で、乙山と甲野も、兄弟分の関係にはないものの、付き合いがあった。原告は、昭和五三年ころ、銃刀法違反の事件で、丙川の被疑事件の弁護人となったのをきっかけとして、丙川と知り合うようになった。その後、昭和五四年ころ、甲野が覚せい剤事件で原宿警察署に逮捕された際、丙川が原告に甲野を紹介したので、原告は、甲野の弁護人を務め、以来甲野と知己となった。丙川は、当時定職がなかったことから、一件につき幾らとあらかじめ弁護料等を決めず、弁護料等の支払方法について、原告に対し、金銭の都合のついたときに適宜支払いたい旨申し入れ、原告も、これを了承していた。そのため、丙川は、昭和五三年の前記事件と、同五四年の甲野の前記事件の弁護料等を数回に渡って、弁護料名目あるいは車代名目などで、適宜原告に支払っていた。丙川は、昭和五五年九月一五日覚せい剤事件の容疑で逮捕勾留されたが、甲野が同年一〇月二二日覚せい剤所持の容疑で現行犯逮捕されたことを、野方署に勾留されている間に、甲野の妻花子あるいは自分の妻から聞き知った。丙川は、甲野の覚せい剤事件で、甲野が罪を全部背負い、覚せい剤所持の共犯である乙山の名前を出さないであろうと思っていた。そして、丙川としては、乙山とは縁があるし、甲野は弟分であるので、両方うまく行くようにとの考慮から、今度乙山が逮捕されたとき刑を軽くする方法について思案していた。そして、乙山が甲野のためにつけた弁護人がいたけれども、甲野は、花子を通じて、丙川に対し、別の適当な弁護士の紹介を求めた。これに対し、丙川は、自分が知っている原告を紹介し、また、自分の妻か花子を通じて、甲野に対し、丙川が釈放になるまで乙山のことは隠しておくようにと指示した。ところが、甲野は、同年一〇月二七日司法警察員の取調べに際し、それまで隠していた乙山のことを明らかにし、甲野が所持していた覚せい剤が実は乙山のものであると供述を変えるに至った。他方、原告は、甲野の弁護を引き受けたが、同じころ、丙川の依頼により同人の関係者である丁原秋夫、戊田冬夫の弁護も引き受け、勾留中の丙川から、その妻を通じて、これらの者の弁護料等を引っくるめて、弁護料ないし車代名目で、都合のついた額だけを数回受け取った。五五日間の勾留後釈放された丙川は、逃亡中の乙山と度々連絡を取っていたが、乙山から、罪を背負う予定の甲野が、乙山の名前を出して供述していることを聞かされた。そして、乙山は、丙川に対し、「甲野の供述調書が見れたら、見てくれ。調書の内容を調べてくれ。」と頼んだ。原告は、甲野と接見したところ、同人が所持していた覚せい剤が誰のものなのか、覚せい剤であるとの認識の有無などについて、同人の供述の矛盾変転があり、かつ、甲野の身分からして八五グラム余りもの大量の覚せい剤を持ち得るはずがないとの疑問もあったので、事実関係を詳しく調査する必要を感じていた。そのため、原告は、同年一一月二一日事実関係調査の目的で、甲野の記録の謄写を申請し、同年二六日甲野の調書類の謄写を終えた。丙川は、同年一一月二一日、甲野に原告を紹介したことや、戊田、丁原の弁護料、丙川自身勾留中に相談に乗ってもらったことなどの謝礼金の一部の意味で、原告に対し、現金三万円を支払った。そして、丙川は、原告に対し電話で甲野の公判調書の閲覧を申し込んだ上、謄写が終わった日から三ないし五日後の夜七時ころ、原告の事務所を訪れた。そして、丙川は、乙山に頼まれただけでなく、自分としても、乙山と甲野の両方をうまく持って行き、乙山の刑を軽くするために甲野の調書を読んで詳しい事実関係を知った上で警察と相談する下心から、原告に対し、「前科のある甲野が大量の覚せい剤を所持する罪を犯したので、少しでも同人を助けるため、事件の内容を詳しく知りたい。自分が読みたいから、調書類をちょっと借りられないか。」などと申し入れた。原告は、いったんは貸し渋ったが、甲野の言い分と記録との食い違いその他疑問点を質す弁護活動上の必要があり、また、丙川が甲野の生活全般につき詳しく知っており、原告の質問に対し相当程度返答できていたことから、丙川に調書類のコピーを検討してもらうのも一つの方法と考え、時間も夜遅くなってきたため、すぐ返すことを条件にして右申し入れを承諾した。この際には、丙川は、原告に対し、乙山が甲野の調書を見たがっていることについては全く言及しなかった。調書を借りた丙川は、コピーを取った方が早いと考え、原告に無断で、コピー店において、調書類を再コピーし、それを乙山に見せることにした。そして、丙川は、乙山と潜伏先で会った際、調書類を見せるだけでなく渡してしまおうと考え、これを同人に手渡した。原告は、その数日後、甲野に接見するため滝野川署に行き、その時同行した丙川から貸与した調書類のコピーの返却を受けた。接見の帰りの車中において、原告は、丙川に対し、調書中供述が変遷する部分等について質問した。丙川は、警察とのやり取りや甲野との接見で事件の内容を原告以上に知っていたが、原告に対し、詳しく話すことはなかった。また、原告は、丙川に対し、甲野の刑が重くなりそうなので、甲野の母親を情状証人に出てもらうよう説得して欲しい旨要請し、丙川は、甲野の母親を捜し出して証人に出てもらった。甲野が起訴されて滝野川署に勾留され接見禁止に付されている時、甲野の妻が右滝野川署に電話をかけ、勾留中の甲野を呼び出してもらい、甲野が電話口に出ると、乙山と代わった。乙山は、甲野に対して、調書を入手したことと、乙山と甲田松子の供述によれば覚せい剤が乙山のものとなっていることを詰問した。原告は、昭和五六年二月、暴力団川崎組の事務所から、覚せい剤使用事件につき乙山の弁護を依頼され、戸塚署に接見に行って、乙山と初めて会ったが、乙山の弁護をひき受けるに至らなかった。原告は、いったん釈放になった乙山が、その後甲野と関連する事件で滝野川署に再逮捕されたとき、乙山の直接の依頼により弁護を引き受けた。原告は、その際乙山より、「甲野は、自分が所持していた覚せい剤を私のものだと供述しているが、それは嘘であり、甲野のものだ。私に押し付けようとしている。」と聞かされた。

(2) 岸は、同年三月末か四月初めころ、東京地検の検事から、暴力団員の覚せい剤事件で、従犯の検事調書等を、逃亡中の主犯に横流しした担当弁護士がいること、この弁護士とは原告であり、主犯は乙山、共犯は甲野であること、その検事としては、原告の行為は、遺憾な行為であり、刑事訴訟法の趣旨にも反すると考えていることを聞知し、同年四月半ばころにも、調書が漏洩した件について、公判の中で原告を糾弾する意向であることを聞知した。そして、岸は、東京地検の別の検事からも、原告が逃亡中の乙山に甲野の調書が渡ることを知りながら丙川に調書を手渡したことは、刑事訴訟法四七条、更には弁護士法二三条に違反する疑いがあるとの意見を聞いた。被告人乙山の公判において、覚せい剤が乙山のものか否かが争点となり、昭和五六年五月二二日の第二回公判期日において、甲野が証人として証言したが、甲野は、覚せい剤が乙山のものである旨の従前の供述を翻し、右供述は虚偽であり、覚せい剤は自分のものである旨証言した。その際、立会検察官は、甲野を尋問し、甲野の勾留中同人の供述調書を入手した乙山から電話があり、甲野に供述を変えるよう唆した事実があった旨の証言を得、また、原告を通じて乙山に調書類が渡ったであろうと甲野が推測している旨の証言も得た。被告は、同月二四日本件記事で、東京地検が原告を乙山の公判廷で糾弾する方針である旨を報道したが、同年七月二日、乙山の第四回公判期日での被告人質問において、検察官は、乙山に、同人が調書を入手して勾留中の甲野に電話をした事実を供述させたにとどまり、原告を通じて調書を入手した旨を供述させる質問もしなかったし、そのほか原告を非難する指摘もしなかった。そして、同月二三日の第五回公判期日における被告人乙山に対する論告においても、被告人乙山が、弁護士を介して供述調書を入手した事実の指摘はあったが、原告の名前を挙げたり、原告の行為を具体的に述べて法的評価を加えて非難するなどの部分は全くなかった。

(3) なお、原告は、本件記事により報道された内容の事実について、その後警察や検察官から捜査されたり、詰問されたりしたことがなく、また、所属弁護士会の綱紀委員会等において事情調査等を受けたこともなかった。

(二)  前記認定の事実に徴すると、原告が丙川に調書類のコピーを貸与したことが、乙山に同調書類の再コピーが渡り、乙山が甲野に供述を変えるように唆した事件の起因となっていることが認められ、従って、原告において細心の注意を払えば、少なくとも再コピーされるような事態は、避けることは可能であったといえなくもなく、原告は、弁護士として弁護活動をする上で、弁護士倫理上軽率と非難されても仕方がないところがある。

しかしながら、前記認定事実によれば、右調書類の再コピーを入手した乙山が、滝野川署に勾留されて、接見禁止に付されていた甲野に対し、何らかの行動に出ることは、一般に予想できないことであり、この点について原告の責任を云々してこれを非難することはできない。もっとも、《証拠省略》によれば、乙山の第二回公判後、岸が原告に対し、東京地裁刑事部の廊下で、「なぜ丙川に調書を渡したのか。」などと質問したこと、原告が岸とのやり取りの中で、どういう意味であるかはっきりしないが、「乙山が自分で出頭する。」と言ったことが認められ(《証拠判断省略》)、証人丙川の証言によれば、いつの時点であるかははっきりしないけれども、丙川も、原告に「乙山が出頭するかも知れない。」と言っていたことが認められる。しかしながら、原告本人尋問の結果によれば、原告は、岸の突然の質問について趣旨をよく理解できないまま応答したところもあることが認められ、また、丙川の右発言と調書類のコピーの貸与との結びつきも判然としない。そうすると、原告の前記応答により、原告が、乙山に調書類の再コピーが渡り、同人が甲野に何らかの働きかけに出ることを予想していた事実を推論することは全くできない。従って、この点に関する本件記事部分を真実と認めることはできない。

(三)  原告が昭和五五年一一月二一日に丙川から受領した現金三万円の趣旨は、前記認定事実によれば、丁原、戊田、甲野、丙川らの弁護料の一部であることが明らかである。従って、原告が調書貸与の謝礼金とし現金三万円を受け取った旨の本件記事部分は、真実に反することが認められる。

(四)(1)  前記認定事実によれば、原告は、特定個人たる丙川に対し、他の第三者に更に見せることを予定せずに、調書類のコピーを見せたことが認められるから、刑事訴訟法四七条にいう「公に」したものとはいえず、しかも、原告は弁護活動としての調査のための必要上これをなしたものであるから、同条但書の事由もあると認められ、従って、原告の右行為は、同条違反の行為と非難することはできない。

(2) 甲野の調書類は、検察官から開示されたものであって、甲野本人が原告に対して特に打ち明けた一身上ないし業務上の秘密ではない。更に、弁護士法二三条は、秘密を打ち明けて弁護士に救済なり対策なりを求める依頼者と弁護士との信頼関係を維持することを目的とするものであって、依頼者としては、信頼関係が維持される限り、秘密保持の利益を後退させて、適切な弁護を受ける利益の方を当然に優先させることを望む場合もあるので、本件のように既に検察官側に知られ、調書として公開の法廷に提出される可能性もあるほど秘密性が薄れている事柄について、弁護活動の必要から、調書の矛盾点を検討させる目的で、甲野の日常生活を良く知る兄貴分の丙川に調書類のコピーを一時貸与することは、調書類の中に特に依頼者が秘密を保持したいと考えているような特殊な事実、例えば高度なプライバシーに係わる事実などが記載されているのでない限り、同条に違反することはないというべきである。本件においては、右のような例外的な事由は見当たらない。また、同法条は、依頼者以外の第三者の秘密について保持する義務を規定していると解される場合もあるが、それは依頼者の親族の秘密や依頼者が特に秘密保持を希望している第三者の秘密にあたる場合に限られる。右調書には、共犯者たる乙山に言及する部分はあるが、それが甲野において乙山のために特に秘密保持を希望していた事柄であるとも認められないので、その調書類のコピーの貸与について依頼者でもない第三者の承諾まで要求するのは行き過ぎである。従って、原告の調書類のコピー貸与行為について、弁護士法二三条に違反する行為と非難することはできない。

(3) また、証人岸は、取材の際、東京地検の検事から、「乙山が丙川に『是非甲野の調書を見たい。』と言うので、丙川は電話で原告に対し、『乙山が甲野の調書を見たいと言っているので見せてくれ。』と頼んだ。丙川から頼まれた原告は、昭和五五年一一月二一日甲野の調書の謄写申請をし、同月二六日に謄写を終え、その直後、同月末に、丙川に対し、謄写した調書を手渡した。その際、原告は『乙山が捕まった場合にこのコピーを持っているとまずいので、見せるだけにしてくれ。』と言った。丙川は、調書を借りた謝礼金として、その場で三万円を原告に渡した。原告の行為は、刑事訴訟法四七条にまず抵触する。更に、弁護士法二三条にも抵触する疑いが濃い。」と聞いた旨証言しているが、検察官から右のような具体的内容の情報提供を受けたことを認めるに足る確証はなく、にわかに採用し難い。仮に、そのような情報提供があったとしても、東京地検のある検事が、記事にされることを予期せずに話した非公式な発言内容をもって、直ちに東京地検の判断と認めることはできない。更に、東京地検の判断を借用する表現で原告の行為を違法と報道するのも、被告の名誉毀損行為となることを免れ得るものではない。特に、東京地検の検事のように権威ある者からの取材であると報道すると、被告みずからが判断の主体となる場合よりも、かえって一般の読者に原告の行為が違法であると強く認識させる結果を招くことになり、それだけ被告の名誉毀損の程度が大きくなる。

(4) 前記(一)(2)及び(3)の認定事実によれば、検察官が、乙山の公判で、乙山が原告を通じて調書を入手し、勾留中の甲野に対し電話をかけた旨の証言ないし供述を引き出したのは、覚せい剤が被告人のものではないとする甲野の証言及び乙山の弁解の信用性を弾劾する意図に基づくことは容易に推認できるところであり、右法廷が、覚せい剤所持の事実を否認する乙山の被告事件を審理するための法廷であることからしても、検察官が原告を糾弾する趣旨で、右尋問を行ったとは認めることはできない。そして、岸は、東京地検の検事から、原告を糾弾する旨聞知しているが、それがどのような状況での取材だったのかは、明らかではなく、右発言が非公式な発言であることや右の公判の経過に鑑みて、東京地検の方針であるというには不十分であり、少なくとも本件記事が掲載された昭和五六年五月二四日当時、東京地検が、原告を糾弾する意図で、乙山の法廷で調書入手の経緯を解明する方針であったとする旨の本件記事部分は、いまだ真実性のあるものと認めるに足りない。ましてや、東京地検が原告の刑事責任を追及する方針であったことなど全く認められない。

(五)  以上によれは、本件記事の主要部分について真実であることの証明はないといわざるを得ない。

5  次に、被告が本件記事を真実と信ずるについて相当の理由があるか否かについて判断する。

(一)  岸が、東京地検の検事から、甲野の検事調書等の漏洩について情報提供を受けた経緯は、既に二4(一)(2)において認定したとおりである。

証人岸は、検事らからの右提供情報の内容につき、次のとおり詳細に証言している。

(1) 岸は、昭和五六年三月末ないし同年四月初めころ、東京地検のある検事から、「甲野の弁護を担当する原告が甲野の共犯で逃亡中の乙山に、甲野の調書を横流しした。原告の行為は、遺憾な行為で、刑事訴訟法の趣旨に反する。」旨聞いたこと

(2) 更に、同年四月半ばころ、同検事から、「調書が漏れた事件について、乙山の公判の中で原告を糾弾する。関係者から大体事情を聞いた。丙川も取り調べた。」旨を聞いたこと

(3) そのころ岸は、東京地検の別の検事から、「乙山が丙川に『是非甲野の調書を見たい。』と言うので、丙川は電話で原告に対し、『乙山が甲野の調書を見たいと言っているので見せてくれ。』と頼んだ。丙川から頼まれた原告は、昭和五五年一一月二一日甲野の調書の謄写申請をし、同月二六日に謄写を終え、その直後、同月末に丙川に謄写した調書を手渡した。その際、原告は、『乙山が捕まった場合にこのコピーを持っているとまずいので、見せるだけにしてくれ。』と言った。丙川は、調書を借りた謝礼金として、その場で三万円を原告に渡した。原告の行為は、刑事訴訟法四七条にまず抵触する。更に、弁護士法二三条にも抵触する疑いが濃い。法文上罰則はないが、極めてけしからん行為なので、乙山の公判廷の中でこの事実を明らかにして、原告を糾弾したい。』旨聞いたこと

(4) そこで、岸は、右法律解釈の当否を確かめるため、最高検検事と高検検事に対し、「担当弁護士が、弟分の暴力団員の調書を、逃亡中の兄貴分の暴力団員に渡るのを知りながら、他人に手渡した」という事例を挙げて、刑事訴訟法四七条に違反しないかどうか質問し、いずれからも、「刑事訴訟法四七条は、事前に不当な圧力をかけられないようにするための規定だから、そのケースでは同条の趣旨に反し違法だ。」という旨の返答を得たこと

(5) 岸は、東京地検の検事から、丙川の供述調書の中に、丙川が「原告がコピーを渡す際、『コピー代も高くかかるからな。』という言い方をしたので、自分は乙山の友人から預かってきた三万円を『お礼です。』と言って渡した。」旨の供述をしていることを聞いたこと

しかし、証人岸は、右東京地検検事、高検検事、最高検検事について、いずれの氏名も明らかにしていない。そのため、岸の右聴取の有無、聴取内容の具体性及び正確性、発言者の意図等を何ら吟味することはできないのであり、そのほか右聴取内容等を裏付ける客観的証拠も存在しない。従って、前記認定のとおり、ある程度の情報提供の事実があったにしても、証人岸の前記(1)ないし(5)の各証言をそのまますべて採用することはできない。ニュースソース秘匿の必要性があるとしても、そのために当該証言内容の証明力が弱められ、被告側の立証責任上不利益を受けることがあっても、それはやむを得ないことである。

また、仮に、右各証言内容を前提に考えたとしても、ひっきょう東京地検の検事が非公式に述べたことを信用したというに過ぎず、更に、最高検検事と高検検事に法律解釈を質問したとしても、東京地検の検事が述べた事例を概括的に挙げこれを前提に質問したというものであるから、その事実関係が真実と違う以上右両検事から受けた違法とのコメントは、所詮的外れであり、それらは、被告が真実と信ずるにつき相当性を付与し得る根拠たり得ない。

(二)  岸が乙山の第二回公判を傍聴した際の同公判における事実の経緯は、既に二4(一)(2)において認定したとおりである。しかしながら、同公判においては、原告から乙山へ調書類が渡った具体的経緯、原告が丙川へ調書類のコピーを渡した意図、原告が丙川から現金の交付を受けたか否か及びその趣旨、右調書類のコピーが第三者へ渡ることについて原告があらかじめ承諾していたか否か等、本件記事の内容の主要部分についての真実性を確かめるに足る事情は何も明らかにされなかった。従って、岸が乙山の第二回公判を傍聴したのは、裏付取材としてほとんど意味がなかったものといわざるを得ない。

(三)  《証拠省略》によれは、次のような事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

岸は、被告人乙山の第二回公判が終了した直後、東京地裁刑事部の廊下で初対面の原告に対し、新聞記者でることを名乗った上で、「なぜ丙川に調書を渡したのか。三万円は、調書を渡した時の謝礼ですね。」」などと質問して原告を追及し非難するような態度を示した。突然の質問に当惑した原告は、「まさか乙山のところへ行くとは思わなかった。」「丙川は、紹介者であって、甲野をいろいろ面倒見ており、家族同様だ。事件の経緯を知りたいというので、調書を貸した。」「「家族には調書を見せることもある。」「「三万円はコピーの実費であり、弁護料の一部だ。」「「乙山は出頭すると言っていた。」などと答えた。原告は、同日夕方第一東京弁護士会館の地下食堂銀茶寮で滝鼻と面談し、調書類のコピーが乙山に渡ってしまった件につき説明したが、滝鼻は、原告の説明や言い分が正しいと納得するに至らなかった。そして、岸は、同月二三日夜本件記事の原稿を一応執筆したところ、滝鼻から「記事にする以上は、電話でもう一度原告の弁明を聞いてみて、合理的な説明があれば、それを加筆修正するように。」との指示を受けた。そこで、岸は、同日午後一一時ころ、原告に電話をかけ、原告の行為が刑事訴訟法四七条及び弁護士法二三条に違反するのかどうかについて原告と議論を交わしたが、この点については検事の解釈が正しいとの考えを変えるに至らなかった。この時、岸は、原告より、「いずれにしろ、半年前の出来事であり、その当時の記憶が曖昧だから、明日でも事務所に行って記録関係を良く調べてみて、その上で詳しい経過を説明する。」旨言われたが、これを無視した。結局、岸が執筆した原稿に滝鼻が一部加筆修正をした本件記事が、翌二四日被告の新聞に掲載され、報道されるに至った。

従って、岸及び滝鼻が、原告から裏付取材をしたことは、原告の弁明を信用できないとの考えを強めただけのものに過ぎず、検事らから聞知したことの真実性を積極的に裏付ける資料を何ら得ていない。

(四)  調書等の再コピーを入手して甲野ら関係者に威迫的行為を行ったとされる乙山に対しても、また、同人と原告との間に立った丙川に対しても、被告が裏付取材をしたことを認めるに足る証拠はない。証人岸は、丙川の供述調書によると、丙川が検事の取調べにおいて本件記事のとおり供述している旨証言するが、これは、検事からの伝聞に過ぎず、証人丙川自身検事に迎合して、「原告は、乙山に調書が渡ることを知っていながら、甲野の調書を貸与した。」と虚偽の事実を供述をした旨も証言していることに徴すると、結局、右取材の事実があったとしても、それだけでは真実と信ずるにつき相当性を付与し得る根拠たり得ない。

また、本件記事の内容は、弁護士の職業倫理に関するものであるから、被告としては、弁護士会の綱紀委員会や他の刑事弁護に精通している弁護士等の意見を取材するのが適当であったと考えられる。しかしながら、被告において、これらの取材をしたことを認めるに足る証拠はない。報道機関には、真実の報道をすべき要請と対立しがちな報道の速報性の要請があるけれども、本件記事の場合、被告自身非犯罪行為の報道であると主張している以上、問題とされている原告の行為が、半年以上も前の出来事であり、しかも、原告は、本件記事掲載の前夜岸に対し、「記憶が暖昧だから明日詳しい事実を調べて説明する。」旨述べていたのであるから、速報することよりも、真実の発見を重視し、慎重な裏付取材を実施すべきであったものである。

(五)  なお、本件記事は、見出しに「謝礼金?」「まさか渡るとは……」と掲げ、本文記事において原告の弁明も併記して、本件記事の真相についての見方や評価について両論があることを窺わせる体裁をとっている。このことは、被告自身も事件の真相について確信をもっていないことを推測させるが、仮にそうでなかったとしても、右のような記事の体裁をとることによって、真実と信ずるにつき相当性を付与し得る根拠を取材により収集すべき責務が軽減されるものではない。

(六)  以上によれば、被告が真実と信ずるにつき積極的な根拠としたものは、記事にされることを念頭に置かない検事の非公式な発言が主だが、報道機関としての公共的責任からすれば、右のような発言の取材程度のものによって真実と信ずることは許されず、独自の立場において、真実と信ずるに足る合理的な裏付資料を収集するため、更に取材に務めるべき義務があるというべきである。そうすると、以上認定の取材経過ないし結果では、いまだ被告に真実と信ずるだけの相当性があると認めることは到底できるものではない。

三  よって、被告は、名誉毀損による損害賠償責任を負うものである。

四  そこで、被告が負うべき損害賠償の額につき検討する。

《証拠省略》によれば、原告は、昭和四〇年四月に弁護士登録して以来、現在に至るまで弁護士の業務に従事し、そして、昭和五六年五月に本件記事が報道されるまでは、弁護士会活動として、東京弁護士会では、毎年のように各種委員会に所属し、そのうち幾つかの委員会において、副委員長や常議員等を務め、また、日本弁護士連合会等でも幾つかの委員会の理事等を務めたこと、原告が弁護士として社会的信用を得てその地位を着実に築き上げてきたことが認められる。そして、被告が発行する「読売新聞」が日本最大の発行部数を有し、その新聞記事が社会的に多大な影響を及ぼすことは明らかであるところ、本件記事は、第二三面のいわゆる社会面のトップ記事として掲載され、原告の行為が暴力団と関係する「黒い失点」であり、地検もこれを違法として追及の方針であると指摘し、原告個人を大きく非難し、その見出し、活字の大きさ、写真の掲載、段組ないし内容量など本件記事の取り上げ方からしても、原告の名誉と信用を著しく毀損したものである。《証拠省略》によれば、本件記事が報道された直後からしばらくの間、原告は記事の問い合わせの対応に追われ、弁護士業務ができない状態に陥ったこと、原告に来るべき依頼者が来なくなったり、悪評のために訴訟の相手方当事者の妨害に遭うなど職務上の支障を来したこと、原告は本件記事が報道されて以降、弁護士会の委員会その他公的活動を自発的に辞退せざるを得なかったことが認められる。このように、弁護士のごとく社会的信用を基礎として社会的公共的活動に従事する人の場合、報道機関によっていったん名誉ないし信用が毀損されると、精神的損害はもちろん、その無形損害は甚大であり、従前の信用を回復するのが著しく困難となる。しかるに、被告は、続報等による記事訂正をすることもなかったことは弁論の全趣旨により明らかである。公人的存在若しくはそれに準ずる者については、純然たる私人の場合よりも免責の範囲が広いため名誉毀損が成立する場合が限定されるが、それにもかかわらず名誉ないし信用毀損の成立が認められるときは、その損害は一般に甚大であり、その損害賠償は、純然たる私人についての損害賠償額以上の金額をもって償わせる必要がある。前記認定の諸般の事情を総合すると、原告が本件記事の掲載によって被った精神的損害ないし無形損害を償うには、被告は原告に対し金五〇〇万円を支払うのが相当である。

五  以上により、本訴請求は、金五〇〇万円及び不法行為の日以降の昭和五九年五月二五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 菅野博之 櫻庭信之)

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